気候変動をめぐる科学と社会の理解の変遷
気候変動が国際社会の主要な議題として認識される今日、私たちは改めて問うことができます。人類はいかにして気候変動の存在を認識し、その理解を深めてきたのでしょうか。フーリエが1824年に地球の温室効果に関する理論を発表してから、ちょうど200年。この間の科学的理解の深化と社会認識の変遷を探ります。
気候変動認識の萌芽(1800-1850年代)
気候変動に関する科学的な理解は、19世紀初頭にさかのぼります。1824年、フランスの数学者ジョセフ・フーリエは、論文「地球の温度に関する一般的考察」において、現在の「温室効果」の基礎となる理論を発表しました1。フーリエは、大気が太陽光は通過させる一方で地表からの熱放射を保持する性質を持つことを指摘し、この効果がなければ地球はより寒い温度になるだろうと論じました。
同時期、ドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトは、南米での広範な調査(1799-1804)を通じて、人間活動が気候に影響を与えうることを初めて体系的に記録しています2。特にベネズエラでの観察では、森林伐採後の地域気候の変化を詳細に記述し、人間活動が環境に及ぼす広域的な影響を指摘しました。フンボルトは後の著書「コスモス」(1845)において、気候を相互に関連する地球規模のシステムとして捉える視点を提示しています。
産業革命期の環境認識(1850-1890年代)
煙突から立ち上る黒煙は、当時、「進歩」の象徴でした。蒸気機関車が大陸を横断し、工場の煙突が都市の空を覆う中、人々は産業の発展がもたらす変化を目の当たりにしていました。
この時期、大気の質は科学的な調査の対象となり始めていました。1872年、化学者のロバート・アンガス・スミスは著書”Air and Rain”において、工業都市の大気汚染の実態を初めて体系的に記録しています3。彼の調査では、マンチェスターの工業地域における大気中の硫黄酸化物の濃度や雨水の酸性度が郊外と比べて顕著に高いことが示され、産業活動が大気の化学組成に与える影響を明らかにしました。
1875年には「公衆衛生法」が制定され、工場からの煤煙規制が始まります。しかし、この時期の規制は主に目に見える煤煙を対象としており、より広範な大気の変化については、まだ十分な注目を集めていませんでした。
この時期、科学の分野では重要な発見がありました。1859年、英国の物理学者ジョン・ティンダルは、後に「温室効果」として知られることになる現象の基礎を発見します4。大気中の二酸化炭素と水蒸気が熱を閉じ込める性質を持つという発見は、気候科学の新しい領域を開きました。
1896年、スウェーデンの科学者スヴァンテ・アレニウスは人類の産業活動によるCO2排出が地球の気温に影響を与える可能性を定量的に示しました5。彼の計算モデルは、大気中のCO2濃度が2倍になった場合、地球の平均気温が5-6度上昇する可能性があることを示していました。この計算結果は、現代の気候モデルが示す値に近いものでした。
科学的観測の進展期(1900-1970年代)
20世紀に入り、気候科学は新たな展開を見せます。1938年、「キャレンダー効果」の発見は、気候科学における転換点となりました。英国の気象学者ガイ・スチュワート・キャレンダーは、産業革命以降のCO2濃度上昇と気温上昇の相関を示したのです6。彼は19世紀以降の気象データを分析し、化石燃料の燃焼による大気中のCO2増加と気温変化の関係を指摘しました。
1957年、「キーティング・プロジェクト」により新たな知見が加わります。科学者ロジャー・レベルとハンス・スエスは、海洋のCO2吸収能力には限界があり、過剰なCO2は大気中に蓄積することを発見します7。この発見は、それまでの「海洋が余分なCO2をすべて吸収する」という仮説を修正するものでした。
これに続き、チャールズ・デービッド・キーティングがハワイのマウナロア山でCO2濃度の継続的な測定を開始します。標高3,397メートルの観測所で、人間活動の直接的影響を受けにくい場所での測定は、地球規模でのCO2濃度変動を捉えることを可能にしました。「キーティング曲線」として知られるこのデータは、大気中のCO2濃度の変化を示しています8。
1972年の「ストックホルム会議」は、環境問題に関する初の本格的な国際会議となり、気候変動データが国際的に共有される場となりました9。この会議では、環境問題が国境を越えた課題であることが指摘され、国際協力の必要性が議論されました。
国際的な認識の確立(1980-1990年代)
1988年、NASAの気候科学者ジェームズ・ハンセンによる米国上院での証言は、気候変動を政治的議題として確立させました10。ワシントンD.C.での公聴会で、ハンセンは「99%の確信を持って言えます。地球温暖化は現実に起きており、それは人類の活動が原因です」と証言します。この証言は世界中のメディアで報じられ、気候変動問題への関心を高めることになりました。
同年設立されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、気候研究の国際的な推進力となります11。科学者たちの国際的なネットワークを構築し、気候変動に関する科学的知見を評価・統合する役割を果たしています。
1992年の地球サミットでの気候変動枠組条約(UNFCCC)採択12、そして1997年の京都議定書制定により、気候変動への対応は国際的な政策課題となりました。この時期、主要メディアでの気候変動に関する報道も増加し、一般市民の間でも認識が広がりを見せます。
歴史からの考察
200年にわたる気候科学の歴史が示すのは、科学的な発見と社会的な認識の間には時間差があったという事実です。19世紀初頭のフーリエによる理論的な基礎づけから、フンボルトによる実地観察、そしてアレニウスによる定量的な予測を経て、気候変動の理解は徐々に深まってきました。
現在、気象データは気温と大気中のCO2濃度の変化を継続的に記録しています13。世界各地の観測所で得られるデータは、気候変動に関する研究の基礎資料となっています。
参考文献
Footnotes
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Fourier, J. (1824). “Remarques générales sur les températures du globe terrestre et des espaces planétaires”. Annales de Chimie et de Physique, 27, 136-167. ↩
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von Humboldt, A. (1845). “Cosmos: A Sketch of a Physical Description of the Universe, Vol.1”. Harper & Brothers. ↩
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Smith, R.A. (1872). “Air and Rain: The Beginnings of a Chemical Climatology”. Longmans, Green, and Co., London. ↩
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Tyndall, J. (1859). “Note on the Transmission of Heat through Gaseous Bodies”. Proceedings of the Royal Society of London, 10, 37-39. ↩
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Arrhenius, S. (1896). “On the Influence of Carbonic Acid in the Air upon the Temperature of the Ground”. Philosophical Magazine and Journal of Science, 41, 237-276. ↩
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Callendar, G.S. (1938). “The Artificial Production of Carbon Dioxide and Its Influence on Temperature”. Quarterly Journal of the Royal Meteorological Society, 64, 223-240. ↩
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Revelle, R., & Suess, H.E. (1957). “Carbon Dioxide Exchange Between Atmosphere and Ocean and the Question of an Increase of Atmospheric CO2 during the Past Decades”. Tellus, 9, 18-27. ↩
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Keeling, C.D. (1960). “The Concentration and Isotopic Abundances of Carbon Dioxide in the Atmosphere”. Tellus, 12, 200-203. ↩
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United Nations. (1972). “Report of the United Nations Conference on the Human Environment”. Stockholm, 5-16 June 1972. ↩
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Hansen, J. et al. (1988). “Global Climate Changes as Forecast by Goddard Institute for Space Studies Three-Dimensional Model”. Journal of Geophysical Research, 93, 9341-9364. ↩
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IPCC. (1990). “First Assessment Report”. Cambridge University Press. ↩
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United Nations. (1992). “United Nations Framework Convention on Climate Change”. FCCC/INFORMAL/84. ↩
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IPCC. (2021). “Climate Change 2021: The Physical Science Basis”. Cambridge University Press. ↩